2001年3月2日

「障害者等に係る欠格事由の適正化等を図るための医師法等の関係法令改正試案」
に対する意見

障害者欠格条項をなくす会
(代表 牧口一二・大熊由紀子)
事務局
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11総評会館内
DPI障害者権利擁護センター気付
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はじめに

 「障害者等に係る欠格事由の適正化等を図るための医師法等の関係法令改正試案(以下『試案』と略)は、ひとことで言うなら、「障害を特定した絶対的欠格」の条文を、「障害を特定しない相対的欠格」へと改めて、障害者に係る欠格条項は残すものです。そして、政省令では「視覚、聴覚、音声若しくは言語又は精神の機能の障害」など、実質的に障害・病名を列記する内容です。いわば、まだ中途半端な見直し段階にあることが『試案』に示されており、このままでは、今後もなお、障害や病気を理由とした拒否の可能性が大いにあります。

 医師法の障害者欠格条項をさかのぼれば、1906(明治39)年。以来今日まで百年間、言葉の言い換えを除けば、見直されたことがありませんでした。「目が見えない者、耳が聞こえない者…」「精神病者」などとして、障害や病気があるというだけで門前払いをしてきた法律を、ようやく変えようとするに至ったこと、そして、「障害を特定した欠格条項」を削除することは、前進です。受験に際しての欠格条項廃止(医師国家試験等)、一部の法律 (栄養士法、調理師法、製菓衛生師法)に関して障害者欠格条項全廃とする内容は評価します。

 全面的な見直しのために、下記、提案を述べます。



各項目

a 「資格免許ごとに必要な身体又は精神の機能を規定しなければならない」という発想自体の転換が必要です。

b.その業務等の本質的部分を担えることと、障害や病気の有無や程度は別の問題です。『試案』の条文にある「心身の障害により」「☆☆(各機能の名
称)の障害により」を削除し、政省令においても障害や病気を特定しないことを強く求めます。

c.意見聴取だけでなく、異議申し立て-再審査の仕組みを確立しなければなりません。

d.支援技術の開発・普及・活用と、そのための制度的条件づくりを急ぐ必要があります。

e.政省令の内容を検討する委員会等を設置し、その委員として障害や病気のある人の参画を確保し、障害や病気のある人々の意見を決定に反映することを強く要求します。

f.諸外国の蓄積に学び、個人の可能性を活かす法制を整備すべきです。

g.見直し作業はまだ中途であり、省庁・政府として継続した取り組みが必要です。



本文

a.「資格免許ごとに必要な身体又は精神の機能を規定しなければならない」という発想自体の転換が必要です。

 資格等に応じて、その業務の本質的部分の遂行に必要不可欠な身体又は精神の機能を明記する、という考え方が『試案』には書かれています。しかし、「必要な身体又は精神の機能」は、同じ資格・免許所持者であっても、それぞれの人が具体的にたずさわる仕事内容や、環境や、補助的手段によって非常に大きく変わるものです。それを資格ごとに当てはめようとする発想自体に、根本的な誤りがあります。

なぜ、まず身体や精神の機能と資格免許の関係に着目するのか?そこには、障害や病気があると無理・困難という偏見と予断が、横たわっているのでは
ないでしょうか。

 障害や病気に着目して、あくまで「必要な身体又は精神の機能」を細かく規定しようという発想に立つかぎり、結局は、「目が見えないもの…には免許を与えない」としてきた障害者欠格条項の発想の延長上です。発想の転換こそが、今、必要なのです。


b.その業務等の本質的部分を担えることと、障害や病気の有無や程度は別の問題です。『試案』の条文にある「心身の障害により」「☆☆(各機能の名 称)の障害により」を削除し、政省令においても障害や病気を特定しないことを強く求めます。

 『試案』で、「その業務の本質的部分」を補助手段も使って遂行できるか、という考え方を打ち出したことは、重要なこととして評価していますが、上記aにも述べたように、「その業務の本質的部分」を担えるかどうかということと、障害や病気の有無と結びつけていることに、この『試案』の根本的な誤りがあります。これでは『試案』で「業務の本質的部分」という言葉を使う意味がありません。

 その業務の本質的部分というのは、第一に、障害や病気の有無とは分けて理解すべきでであり、その職種等に求められる基本的な役割に関する大まか な定義で十分です。

 上記の理由で、『試案』の条文にある「心身の障害により」「☆☆(各機能の名称)の障害により」を削除すること、および、法律の運用基準となる政省令においても、「視覚、聴覚、音声若しくは言語又は精神の機能の障害」のような障害名や病名の列記をおこなわないことを強く求めます。

 補助手段を活用し、環境の工夫をしても、ある人の障害や病気のその時の状態において、その具体的な業務の本質的部分を遂行することがどうしても困難な場合は、個別的にありえます。そうした場合に対する一定の判断基準は、政省令で規定することになるでしょうが、その政省令の制定運用については、eに後述するように、必ず障害当事者を検討段階から参画させるべきです。


c.意見聴取だけでなく、異議申し立て-再審査の仕組みを確立しなければなりません。

 障害や病気を理由とした排除の可能性が少しでもある限りは、「異議申し立て・再審査」などの仕組みを確立して法律に定めることが、非常に重要です。
 『試案』では、「免許を与えないこととするときは、申請者から意見陳述の求めがあった場合には、意見の聴取を行わなければならない」(『試案』 より引用)旨の、「意見聴取」手続きを設けるとしています。

 「意見聴取」は当然必要なことですが、「求められれば審査結果に対する意見は聞く。だが、再審査は行わない。専門家のおこなった決定をくつがえすことはない。」というものなら、その先は「それでも不服があれば裁判で。」となります。

 審査を行うにあたり、決定前の段階から、必ず本人の意見をよく聞くことが肝心です。「実際どんな工夫があればできるのか」など、本人の意見が第一に尊重されなければなりません。

 そして、審査結果に対する「意見聴取」だけでは全く不十分です。本人の判断と、厚生労働省や専門家の判断とが、異なる場合は、「異議申し立て−
再審査請求」ができる、という規定を加える必要があります。


d.支援技術の開発・普及・活用と、そのための制度的条件づくりを急ぐ必要があります。

 「機能補完技術、機器の活用及び補助者の配置の可能性を考慮する」と、政府方針(「障害者に係る欠格条項の見直しについて」1999年8月9日 障害者施策推進本部決定)にも明記されていますが、『試案』では、補助手段を使う事例として、オシロスコープをあげているだけで、イメージが乏しいことがうかがわれます。補助的手段を使って業務等をおこなうイメージを、実際に活用している人などに聞いて、もっと具体的にふくらませる必要があります。同時に、補助機器の開発・普及は大きな課題です。

 そして、機器の開発・活用はもちろんのこととして、必要な場合に手話通訳者、要約筆記者、朗読者や、個人ニーズに対応したアテンダントを得ることができれば、その人がその仕事などについて力を発揮できる可能性は非常に広がります。人的な支援の技術・事例の蓄積も、年々進んでいます。補助者についても法制度として位置づけることが必要です。

 また、本人の費用負担が当然のこととされたり、費用が必要ということが拒否の理由とされないように、補助的手段の費用負担の規定も整える必要が
あります。


e.政省令の内容を検討する委員会等を設置し、その委員として障害や病気のある人の参画を確保し、障害や病気のある人々の意見を決定に反映するこ
とを強く要求します。

 障害や病気がある人々は、当事者ならではの経験にもとづく解決方法やアイディアを豊富に持っており、巾広く情報や知恵を集めることができる立場です。法律はもちろん、省令や規則についても、検討し決定していく段階で、障害や病気がある人々の意見を反映することが、きわめて重要になっています。

 政省令においては、具体的にどのような要件とするのか、あるいはどういう場合に制限するのか、それは合理的で公正なものなのかという観点から検討を重ねた一定の判断基準(ガイドライン)は必要とされます。ガイドライン作成について、調査と議論を進めるため、ガイドライン策定委員会、あるいは常設の検討委員会などの設置が必要です。委員会等には、障害や病気のある当事者が必ず委員として加わって判断決定できるようにしなければなりません。


f.諸外国の蓄積に学び、個人の可能性を活かす法制を整備すべきです。

 2000年秋に来日した、聴覚障害をもつ医師、キャロリン・スターンさんは、米国での教育や医療活動について、自身の体験を話されました。

 そのお話からは、障害者欠格条項がない米国においても、医療従事者として教育を受け仕事につくことは決して平坦な道のりではないことがうかがわれました。

 しかし、障害や病気ゆえの排除は差別であり、必要な支援や配慮をおこなわないことも差別であると法制度に明記して、支援のための関連法制を整備していること、希望をもち努力する人には道が開かれ、公正な評価を獲得できるとのこと。日本との違いは明瞭でした。

 諸外国では、障害や病気のある人々が、日本では欠格条項でそれらの人を排除している分野で活動していることが、国内の諸団体が連携しておこなった海外調査でも示されました。

 日本のように、欠格条項のもとで、かつ、個人と周囲の努力以外に何ら支援法制がない状況では、スターンさんのような人は登場しようもありません。
 これは、障害がある人にとってだけでなく社会にとっても大きな損失です。

 長年の損失をこれから取り戻すにあたり、差別を禁止し支援法制を整備してきた諸外国の蓄積に学び、日本の法制度を個人の可能性を活かすものに改める必要があります。



g.見直し作業はまだ中途であり、省庁・政府として継続した取り組みが必要です。

 今回の法案の成立や、政府方針が設定した期限=2002年度末をもって、「これにて障害者欠格条項の見直し作業は終了」と片づけられるような問題ではありません。解決必要な課題を改めて確認し、省庁・政府として引き続き取り組む必要があります。

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