手術入院の経過日記(’00 8/18〜9/11)

 全般に、特に術後直後については記憶がうろ覚えのため正確ではないかもしれません。
どうかお許しのほどを。

入院は、8/18でした。

手術前1日前(8/23)からの経過

2〜3日前より、「スーフルという深呼吸用の演習用の器械で深呼吸の練習を行った。このスーフルは、洗濯バサミのような鼻をツマミものとマウスピースがついており、うまくマウスピースの吹き口より、うまく息をふきつけると音がでる仕組みである。
全身麻酔にかかってしまえば、その間は、意識が失われるが、それでも準備しておくことはできる。この練習を朝、昼食後、そして就寝前に行う。練習の効果がどれくらいあるのか?それは分からないが、でも何かをやった、という充足感は味わえる。手術中の呼吸は麻粋がかかっているけど、自分だけでもできることはあると思う。

手術前日(8/24)

「治すための手術であって、死ぬための手術ではない」
前日に
・剃髪(今回は丸坊主に)
・手術前のCT
・レントゲン写真(胸部と頭部)
・執刀医の方の手術の説明
・担当の麻酔科医の方からの説明と質疑
・入院病棟の看護婦さん、手術部の看護部のの方の説明書
(後二者は手術2二日前?)配布等が行われる。
・ヒゲ剃り・入浴・爪切りも行う

執刀医の医師の方の説明では、今回の手術は、1.5センチほどの線維腫の「脳幹の中抜き手術」であるということだった。脳幹の内部にある「線維腫の摘出」が目的だとのことだった。また線維腫の部分と脳幹の部分との臨界部分の見分けはむずかしい、場合によっては、「気管切開」となって一生、ノドに穴を開けてすごさねばならなくなってしまうかもしれないといわれた。具体的にいえば、「経口食」(口からの食事)から経管食(点滴のような「管」を通したの食事)となってしまうとのことだった。実際は、画像にうつっていた、神経腫瘍は、脳幹の外部から、脳幹を圧迫している2センチほどのものであったそうである。この腫瘍の組織検査をしてもらい、遺伝子検査もしてもらっていいのかどうかという、同意書にもサインしました。。
結果次第では今後の療養生活のあり方に役立つ事もあるかもしれないとのことだった。

※あとで聞いたところでは、腫瘍は思ったより小さく、脳幹にも少しめり込んだ程度だったそうで、腫瘍部分も比較的すんなり取り去れたのだそうです。

手術当日(8/24)
今回は、比較的ぐっすりと睡眠もでき、便も前日にだせた。手術は午前中に手術室に入って開始した。麻酔がかかり、そのあとは、毎度のように意識は失われる。無事終了したようで(とりあえず生きているのは確か(笑))。手を上方にあげたり、ヒザをうごかしたり、などの確認が行われる。手術が終了したのは夕刻だったようだ、それも終わり、どうやら夕刻だったようだ。これらが終了後、集中治療室のようなところに移動。母の説明によると腫瘍は、ほぼ全部摘出できたらしいし、成功だったという。やったね!!うれしかった。

手術終了後の晩
なぜかわからないが、やたらとハイになってしまい、ナースコールのボタン押しまくりであった。ノドに管が入っており、苦しいのである。今外せないことはわかっている。でもいたくて眠れない。くわえて拘束帯でで手をベッドに縛られていて…。これらを今すぐ、取れないのことは分かっているのだが…。この晩は一睡もしてない(笑)。でも暴れてしまってごめんなさいね。この日の夜勤の担当の看護婦さん。

明けて手術翌日(8/25) 抜かれた管 (頭部の管=ドレーン)・(口―肺の管)
教授回診で、医師の方がベッドにこられた。この日の午前中に頭の管(いわゆるドレーン)がはずされる。また肺にさしこまれた管が外れる(口―肺)。まだ頭痛は残ってるが、少しずつよくなっていく実感がある。

明けて術後2日(8/26) 抜いた管(鼻―異)
口から胃液を吸い上げる管が外れる。この管は痛かった朝外せた。午後から気づかないうちに胸のあたりに点滴が打たれていた。この日の夕飯。「ノドの呑み込みの機能がどうなっているか確認するようがあるので、食べているところを見せて下さい」といわれる。まだ自由に動ける恰好でもなく、看護婦さんに口に食べ物をよそってもらう。ところが、むせて、むせて…。「まだ食事が、一人で出来るかは分かりません」といわれる。すっかり落ち込んでしまった。その後、どうなったのか、眠ってしまったのか、記憶の糸が切れている。ハッと目を醒ますと、たしか、さっきまでと同じ場所らしいんだけど、.どうも現実感がなくて、どうも冬の12月にタイムトリップしてしまったという幻覚に襲われてしまった。わかってはいるんです。だってタイプトリップなんて、普通に考えたらありえないことでしょ。だからたぶん、これは「夢」なんだろうな?って。それを確かめる方法はあります。もし「夢」であるなら、ベランダから飛び降りても死なないで目が覚めるはずだよね。でも、そんなことして、どうなるか?、真面目に考えようとすればするほど、訳が分からなくなってくる。こころを病んでる人の苦しさが、なんとなく分かるような気がした。結果的には、元の現実感が戻ってくるまで何度が目をつぶってみることにした。これでよかったのかもしれない。

明けて術後3日(8/27) 抜いた管 (尿カテーテル) 
ベテランの看護婦さんの計らいで昼食を自力で食べるみることに。うまくいった。とても嬉しい。やはり、自分の食事は自分で摂るのが一番。午後、背中の髄液を逃がす管が外される。背中にも管が入っていたのですね。尿の管を抜いて貰った。下剤服用。

明けて術後4日(8/28) 抜いた管 足のコード(酸素の血中濃度)自動血圧計(右腕)酸素マスク(口)
大部屋へ移動。血中濃度のコードが外れるるただし尿は尿瓶が必要で、点滴も続く。また便をだすための下剤も、服用が続く。夜は、ほぼ1時間置きに尿が出る。トイレに移動することができず、ベッド上で済ませることになる。

明けて術後5日(8/29)
下剤を服用、ネブライザーによる吸引は続く。点滴も続く。

明けて術後6日(8/30)抜いた管 点滴(左腕)
便が出る。下剤のせいか、黒ずんでいる(笑)。
この日の夜から点滴はストップ。

明けて術後7日(8/31)

午前中・包帯交換(頭部・背中・右足)

明けて術後8日(9/1)

喀痰の検査
午前中MRI
ネブライザー終了
夜、点滴の管、外される。

明けて術後9日(9/2)

包帯交換(頭部・背中・右足)

明けて術後10日(9/3)

午前中 リハビリの問診
午後より 5F病棟内に限り、行動制限介助,自力のみでの移動自由となる
午後  リハビリの先生来診。母と話「バランスを取り歩けるように退院まで、訓練しよ    う」.ということに。

明けて術後11日(9/4)
午前中 リハビリのPTの方、来られる歩行器でなく、杖での歩行訓練をする。
明日から、PM9:30〜2Fのリハビリ室で訓練を時間になったら迎えに来ます」

明けて術後12日(9/5)

午前中に、手術痕の抜糸あり。頭部と右足から手術の際、縫った糸を一つ一つ取り除いていく。頭部の糸は、色がついてるみたい。左太股の筋膜移植のための糸も、一つ一つはさみで抜かれていく。今回の手術の記念ということで(笑)、抜糸のあと、看護婦さんからガーゼでつつんでもらいいただくことにした。風呂は、金曜日以降とのこと。そのあと、リハビリ。
担当のPTの先生から
「100〜200メートルくらいの短距離であれば、付き添い付きで、病棟内を杖で歩いても構わない」というお墨付きをもらった。


明けて術後13日(9/6)

午前中 リハビリへ
昼、外出許可 AM11:00〜PM17:00 を取り母が来院するのを待ち、中華バイキングへ
久しぶりの外出。とても美味しかった。帰ってきて大学生協の書籍部へ市野川容孝氏の
岩波身体/生命(思考のフロンティア)を買うなかなか面白い

読了後、アレクセンドロス戦記(3)(徳間書店)を読み始める

明けて術後14日(9/7)

午前中、リハビリ
退院後のことなど、話す。

明けて術後15日(9/8)
午前中、退院後の過ごし方のパンフをもらった。
順調にいけば、明後日の月曜に退院である。
午後、久しぶりに入浴。手術以来、半月振りの入浴。
久しぶりの風呂の入り心地は最高だった。
手術の傷跡を包帯等は外して入った。傷跡には触らないでとのこと。

このあと、9/10 欠格条項撤廃の催しに参加。
9/11,晴れて退院.できました、とさ。

to be continue しないかもしんない(^_^;;;

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