文部科学大臣 遠山 敦子 様
2001年11月14日

みんな一緒に普通学級へ・埼玉連絡会
代表世話人 一ノ瀬・井ノ山
どの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会
代表 門坂 美恵
埼玉障害者市民ネットワーク
代表 野島 久美子
埼玉県春日部市大場690−3
048−737−1489

学校教育法施行令等改定に関する要望

 私たちは、埼玉県内でさまざまな「障害」のある子どもや大人、お年寄り、すべての人が共に育ち、働き、暮らし合うことを願って活動してきた諸団体の集まりです。私たちは実際の暮らし、就労を考える中で、「障害」のある子もそうでない子も共に育ちあうことが、国民的課題であるノーマライゼーション社会(共生社会)を築きあげていくためにいかに大切なことか、切実に感じています。
 しかしながら、現在貴省が準備している「学校教育法施行令」等の改定は、いま子ども同士が築きあげている関係に新たな差別と分断を持ち込むものと大きな危惧を感じています。
 そこで、下記のような要望をまとめましたので、検討、話し合いをお願いします。


1. ノーマライゼーションとは、「だれもが分け隔てられることなく当たり前に育ち生活できること」と言われていますが、今年1月に出された「21世紀の特殊教育のあり方に関する調査研究協力者会議」の最終報告によれば、「ノーマライゼーションの進展に向け、障害のある児童生徒の自立と社会参加を社会全体として、生涯にわたって支援することが必要」とし、そのために通常の学級にいる子どもたちに対する教育の充実や必要な教育支援を行っていくとしています。しかし今回の改定では、「必要な条件さえ整えば『特例』として通常学級の在籍を認める」とし、あくまで「例外」としてしか位置づけられていません。しかも、条件整備としての教育行政の責任は不問にされています。また、貴省は11月2日の話し合いでも特殊教育へのニーズ、養護学校高等部へのニーズが高まっていると述べていますが、一方、通常学級就学へのニーズ、公立高等学校へのニーズも相変わらず高い、埼玉県でも推定3,000名の「障害」のあると言われる子どもたちとそうでない子どもたちが国の支援策の一切無い中で、工夫しながら共に育つ経験を積み重ねています。このような事実をどのように評価されますか。

2.「最終報告」の資料(「我が国の特殊教育の現状と課題」)また他団体との話し合いで、貴省は欧米の数値をあげ「わが国は0.42%に対し、米国0.6%、英国1.57%、ドイツ4.0%」と紹介していますが、20数年前から盲学校の廃止に始まり統合教育にシフトを変えたイタリアの0.06%を外しているのはなぜですか。又、わが国の特殊教育の就学率の低さは、決して貴省が積極的に統合教育を推進しているからではなく、違法と言われようが、地域の子どもたちと育ち合いたい、分けるのはおかしいと感じた市民、教師、市町村教育委員会の努力の結果であると認識してください。
  また、これらの国々は、多くのアジアの国も含め「統合教育法」を制定し、インクルーシブな教育(サラマンカ宣言)に向けての取り組みを進めていると聞いていますが、そのことを併せて紹介しないのは何故ですか。
  さらに「21世紀の」と今後の教育を語るのであるなら、当然わが国も署名している「サラマンカ宣言」に沿ってインクルーシブな教育に向けての道筋を明らかにすべきであり、そのことに関して貴省は「統合教育に向けての一歩である」と答弁されていますが、「最終報告」と今回の「学校教育法施行令」等の改定はどのような位置にあり、今後どのように統合教育に向けた取り組みを進めていくのか明らかにしてください。

3. 1981年国際障害者年行動計画では、「障害を障害たらしめているのは環境の問題であり、個人の責任に帰するのは間違いである」とし、そのことは国際社会でも定着し、わが国でも福祉の理念として推し進められているのはご存知かと思います。そこで10月30日、31日衆参両院の文部科学委員会の遠山大臣ほかの答弁について、質問、要望します。

(1)「障害のある子は、可能性を最大限に伸ばし、自立し、必要な力を養うため」2段階の教育が必要であり、特殊教育が必要であるとしています。つまり、「障害に伴う種々の困難さの軽減・克服」(学習指導要領「自立活動」)と、教育の場では個人の努力を強いることになっていますが、その根拠は上位法である国際条約(「国際障害者年行動計画」「障害者の機会均等化に関する基準規則」「子どもの権利条約」「サラマンカ宣言」等)に照らし、どこにあるのか明らかにしてください。

(2)「社会参加するために必要な力」とは何か具体的に明らかにしてください。そして、その力は特殊教育(他の子どもと分けられた場)でしか培うことができないのかお教えください。

(3)「その力」がつかない子どもも最終的に出てくると思われますが、大臣の答弁からはそのような子どもたちは社会参加できないとも受けとれます。貴省の言う「障害の重複する子」「医療的ケアの必要な子」「知的障害の子」の社会参加をどのように考えているのか明らかにしてください。

(4)また同じ答弁で、「お互いに理解するには『交流教育』が必要」としています。交流とはお互いが違うということを前提とし一時的に成り立つもので、共生=ノーマライゼーションとはまったく相いれないものです。そこでは、「(障害があっても)頑張る人」「(障害があって)かわいそうな人」であり、そういう人には「特別な場」が必要であるという認識は育てられても、共に生きる仲間としての意識は育ちにくいといえます。そのことがノーマライゼーション社会への取り組みや高齢者社会への対応にブレーキを掛けていると福祉現場では言われていますが、そのように言われることについてどのように考えますか。

(5)堀議員との懇談で医療的ケアを受けながら通常学級に通う子どものビデオを見た感想で、「そのような取り組みは望ましくない」と述べていますが、安全性というなら肢体不自由養護学校であっても同じことであり、むしろ、往復3時間半以上もスクールバスにゆられて通うことこそ危険です。また様々な子どもが関わり大勢見守るのではなく、教師と一対一の関係での見落としの方が危険が大きいといえます。なぜ肢体不自由養護学校が安全なのか、その根拠を明らかにしてください。

4.「施行令」改定の案によると、条件さえ整えば「特例」として身体障害の子は入学もありえるとしています。また10月31日岸田副大臣は「特殊教育の場に行くべき」とされながら通常学級に通う子どもたちの措置を変更するものではないとも答弁していますが、その多くは今回の「特例」の基準を満たしておらず、「特例」という形で基準を明確にすることは、「本来ここにいてはいけない子」「来てはいけない子」という認識を、他の子供や教師に植え付け、分断を強化することにつながると懸念されます。今回の改定が統合教育への一歩である(11/2玉井審議官)とするならば、通常学級在籍を「特例」として位置づけるのはやめ、就学にあたっては、本人・保護者の意向を尊重し、子どもの中に新たな分断を持ち込む就学基準(「施行令22条の3」)を撤廃してください。

5.わが国は1981年国際障害者年以降、ノーマライゼーション社会の実現を国民的課題とし様々な施策を進めています。しかし、年間通常学級在籍児童生徒の約10倍の教育費をかけ12年間の特殊教育、さらに通常学級における「障害理解教育」「交流教育」にもかかわらず、養護学校高等部卒業時の一般就労は全国的にも約2割に過ぎず、(それも地域の中学校から高等部への入学者が多い)、さらに就労後人間関係のつまづきで離職するケースが後を絶ちません。その結果多くは障害者だけが集まる福祉施設を利用し相変わらず一般社会からかけ離れた生活を送らざるを得ない状況です。養護学校を卒業した子どもたちだけでなく、保護者の多くは、社会に出る=出す(福祉施設から一般就労することやグループや一人暮らしをすること)に大きな恐れを抱き、外に出ることにためらいがあるのです。その結果、障害者は手のかかる存在・お金のかかる存在であり、親亡き後は入所の施設を利用せざるを得ず、いつまでたっても納税者になることもできず、共生=ノーマラーゼーション社会の実現はできないのです。
  貴省は、ノーマライゼーションの進展を踏まえ(施設から地域へという流れ)、このような事態をも「社会参加」というのでしょうか。それとも社会参加は厚生労働省の管轄と下駄を預けるつもりなのでしょうか。対費用効果の観点からもあわせお聞かせください。

6 貴省の準備している「学校教育法施行規則32条」では、「管理課において安全に過ごすことが可能なこと」「対人関係において著しい問題が認められないこと」を就学の条件にしていますが、これが字句どおり実施されるとすれば、障害児のみならず不登校の子どもなど多くの子どもが通常学級から排除されかねません。今回の改定は、統合教育への一歩どころか更なる別学体制の強化の恐れさえあります。「施行規則32条」の案は撤廃してください。

以上