『民也からの贈りもの』(自費出版:問い合わせ先は文末)

 難病とは何か?障害とは何か?について、深く考えさせてくれた本でした。故・民也君のお父様による自費出版。

 ムコ多糖症という難病にかかった民也君とその家族(著者自身と著者の奥様)が、地域、彼の学校の先生親友たちとの間で交わされた出来事などを時系列に書き綴った手記です。民也君が、生を授かった時から、彼が大学院修士課程の卒業を控えた24歳で、志半ばにしてお亡くなりになるまでの経過、小学校(普通学級)への就学、中学校、高校、大学、大学院への進学、が淡々と述べられていきます。

 とりわけ、印象に残った箇所は、民也君が、ムコ多糖症という病気のために、小さい頃より両腕の指がコの字型に折れ曲がってしまい(手話の指文字でいうと、「え(e) 」の状態で硬直していまった)、試験等でも、回答を記入するのに、他の人以上に時間がかかってしまい、解答が分かっているのに記入出来ないというハンディがあった、この点について、著者は、以下のように綴っています。

『大学入試のときにも考えたことだが、やはり私は、時間延長の措置ががあったなら…と思う。入試において、帰国子女や社会人のような特別枠を、障害者にも設ける大学が出てきた。障害者が教育を受ける機会を保障していくうえで、それも有効な方法かもしれない。だが、一般入試において、障害の種類に応じて、時間延長や代筆受験などの措置が講じられる必要もあるのではないかと思う。
 健常者とは違う特別な試験でなく、一緒に、同じ試験を受けたい−−そう望む受験生もいるだろう。「ハンディキャップをカバーする手立てがありさえすれば、健常者と同じ土俵に立てるのに…」と考える障害者は少なくないのではないかと思う。多分民也がそうだったように。』(164ページ)

 そして、なんといっても、圧巻だったのは、民也君の生前、彼の友人であった人たちが、皆、口をそろえて、「民也君の障害について認識はしていたが、ふだんはほとんど意識したことがありませんでした。」と語った、とあったところです。一緒に居ることが当たり前だと思えるところから関係が始まったからなのかもと思いました。

●難病について
巻末には、 『知ってほしい「難病のこと」』(196ページから)
と題して難病福祉についてのこれまでの経緯が解説されて、特定疾患のリストなどが記されています。 その中で、難病者が、どうして障害者と同じような支援を受けることが出来ないことについて、解説しています。

その原因は、「身体障害者基本法の障害者の定義(2条)」にあると筆者は、こう書いてます。

『1993年の法改正で、「障害者の定義の根本的改定」が、障害者団体から強く要求されていたのにもかかわらず、「身体障害者、精神薄弱、精神障害者」にとどめ、附帯決議の中で、てんかん、自閉症、難病を含むとしたにすぎません。「長期にわたり、日常生活又は、社会生活において相当に制限を受ける者」という条項も定義をせばめる原因になっています。』

 難病者・身体障害者という分類の仕方も、法律における定義によって、そのボーダーライン上にいる置き去りにされてしまう方々、制度の谷間の人を存在させてしまう、曖昧な制度ゆえなのかもしれません。

●ノーマライゼーションとは?
 「ノーマライゼーション」、あるいは、「共生社会」と聞いてどのような社会を思い描くかによって、イメージに大きな相違が生まれることを感じます。イメージが、社会一般から「特殊な存在」として、障害者・高齢者を捉えようとすると、それは本来自分とは関係ない「他者への配慮」という意味になります。確かに、社会の中での障害者・高齢者への配慮の必要性という面はあると思います。しかしながら、それと同時に、障害者・高齢者と一緒に暮らしている人たちへの社会的責務でもあると思います。決して、特殊な人への配慮だけに終わるものでもあるのはではないかと思うのです。つまり、「障害者・高齢者」は、特殊な存在としての「他者」としてだけでなく、同じ社会に一緒に暮らしている、いわば「仲間」として受け入れる考えです。
 「障害者・高齢者」といった「特殊」な人への配慮ということが強調されるあまり、まわり回って、わだかまり(いわゆる「
心理的なバリア」)を生じさせてしまう一因にもなりえるという皮肉な現実が実際あると思うのです。
 それは悪意ではなく善意からそうなるのかもしれない。小さいころより「分けられた」環境の中で育ってきたがために、この社会に障害者がいるということを実体験として経験する機会に、結果として恵まれなかった。それは健常者だけの問題でもなく、「分けられた」側にとっても同じことがいえると思うのです。そして、それがまた「障害者」を「健常者」から分けていくことを正当視する考えを再生産していくという悪循環。
 よく社会が障害者に対して偏見を持つ理由を、本能的な、生理的な嫌悪感にあるという意見を耳にします。確かに、「異質」な存在であるでしょう。しかしながら、その異質性は、環境によって作り出されている面もあるのではないでしょうか。
 この本を読んでいてそんなことに思いを馳せました。

※著者の連絡先は以下の通りです。

奥付より

著者:小長谷禎一(あばせ ていいち)

京都わらび会(稀少難病者・児と家族の会)事務局長
京都難病団体連絡協議会事務局長
日本患者家族団体協議会(JPC)幹事
この本の自費出版サイト